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2013年3月22日 (金曜日)

作業療法士が語る「作業療法」

 作業療法って何だろう。私は、作業療法士になって10年ほど経つまで自分にも周りの人にも答えられなかった。

 

 とある専門学校で、毎年留年ぎりぎりの成績を取りながら、仲間に支えられて何とか卒業し、作業療法士にはなった。もう30年も前の話である。作業療法って何かまったくわからなかったが、学校を卒業したのでとりあえず就職した。作業療法士にはなったが、作業療法士の仕事ができたわけではなかった。

 

 就職先は、公立の通園施設だった。新卒なのに福祉系の一人職場を選んでしまった。作業療法の奥の深さ、自分が子供たちの人生に触れる仕事であるという、「ことの重大さ」には気づいていなかった、安易な選択だった。そこではいくつもの大きな壁にぶち当たった。

 

 同僚のマッサージ師が行ういわゆる「機能訓練」で、子供が泣くのがいやで仕方がなかった。泣いている子供を見ている母親の表情がいやでたまらなかった。なんで障害を持っただけで、こんなにいやな思いをしなければならないんだろう。できの悪い新米作業療法士が抱いた、素朴な疑問だった。障害があっても、もっと楽しく暮らしてほしかった。作業療法はできないけれど子供が楽しく遊ぶにはどうすればいいかは、新米作業療法士でも考えられた。

 

 子供が泣かないセラピーはとても楽しかった。子供が楽しそうな表情になると、同席してる保護者の表情が和らいだ。あのつらそうな表情が母親から消えていった。何よりも私自身が楽しかった。そして、作業療法ってなんだろうなんて考える暇がなくなっていった。

 

 新米作業療法士ができることは限られていたが、新米でもやらなければならないことは多岐にわたった。公務員の新任研修が終わって、作業療法士として配属先の施設にいったら「ひよこグループの担任の先生」になっていた。集団指導なんて実習でも体験したことがないのに。それだけではない。医学的な知識を始め、子どもの生活、子どもの発達、保護者の心理など、わからないことばかりだった。わからないので、同僚に教えてもらった。そう、同僚は全員他職種。自分がわからないことは他職種に聞いたほうがいいんだという感覚は、きっとこのときに身につけたのだと思う。壁にぶつかった私を支えてくれたり、解決できるように一緒に歩いてくれたのは、みんな他職種のスタッフだった。自分とは違う知識や技術、価値観を持っている人と一緒に仕事をすることこそが、発達を多角的にとらえる唯一の方法だと、心身にしみこんだ体験だったと思う。

 

 自分がやっていることが作業療法かどうかはわからなかったが、子供が楽しく遊んでいると、できなかったことができるようになっていった。子供の発達する力は強いからだと思っていた。しかし、発達がひどくゆがんでしまう子供もいた。発達する力が強いからこそ、発達がゆがまないようにアプローチをすることが大切だということに気づいた。そんな頃、「子供が楽しく集中して遊んでいるときが一番脳の組織化が促される」ということが書かれていることを知った。エアースの言葉である。相変わらず、自分のアプローチには自信が持てなかったが、「自分は子供が楽しく遊ぶことしか支援できない」と思っていたが「楽しく遊ぶことは子供の発達を促すためにはとても重要なことだ」と気づくきっかけとなった。

 

いま、「作業療法って何?」と尋ねられれば、すぐに「『楽しいことをしていたら知らないうちにできるようになっちゃった』というのを治療に応用したセラピーだよ」と答えている。楽しいこととはもちろん、目的活動である。対象が子どもならばこの目的活動は遊びである。目的活動は、活動を行うことで、心も体も成長することができる。子供が笑顔になると、保護者も笑顔になれる。子育ての大変さの中で、子供と一緒に笑えることは親にとって幸せな一瞬であり、それは、定型発達児でもこどもに障害があっても変わらない。どんな治療をするかは、場数を踏んでいるので何とかなるようになってきた。いまは、家族みんなが幸せに暮らせるために、対象児と対象児の周りの人間にどんな働きかけをしていけばいいのかを考えるようになっている。作業療法という対人援助の仕事をしていく以上、きっと永遠のテーマかもしれない。

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